岩木山・百沢土石流災害
昭和50年8月5日から7日にかけての東北地方の大雨により、蔵助沢中流部の百沢地区では死者22名を含む26戸が全半壊される史上まれにみる被害を出した。
山頂直下1,450mの崩壊地から谷底を削り三つの堰堤をも破壊し、百沢地区到達にはわずか10分ほどだった。地形的には分からないが、荒涼としたスキー場に比べ鬱蒼とした樹林帯に囲まれた「岩木山神社」が無傷だったのは…。
(元気象庁天気相談所長宮澤 清治氏HPから抜粋)
「午前3時ごろだった。ゴワーと大きな音がした。岩木山が爆発したのかと思った。そのうちに高さ5mもある水の壁が押し寄せてきた。」
被災された方々の状況(「岩木山百沢土石流災害報告書」)
現場地図を見てびっくりしました。№5の成田さんは知人です。自宅は神社のすぐ脇(現在ガソリンスタンドの場所だと思う)にありました。長くなりますが、詳細を言えば切り抜きに夫(彰三)は当日不在とあります。 実は前日、当時私の勤めていた会社が県内各地の取引先のご主人を研修を兼ね「ねぶた見物」に招待していました(彰三さんもその一人)
夜懇親会終わって就寝、次の日、早朝の報道で百沢地区で土砂水害の報が入り(その時点では詳細分からず)成田さんも直ぐ自宅に電話入れるもつ繋がらず、私が青森から百沢の自宅まで車で送ることにして、ご主人が帰る準備をしている間に別ルートから奥様が亡くなったとの情報が入ったのです。
そのことをご主人には知らせず車で1時間半…、カーラジオからは惨状を伝えるニュース。ご主人は我が家は大丈夫だと望みを繋ぎ…辛い運転でした。
結局、現場までは行けず手前の松並木のあたりで警察の交通規制があり、そこからご主人は車から降り走っていきました。
今も「どうもありがと ! 気つけで帰って。」と言われたご主人の言葉を思い出します。当時、私は26歳でした。 ( 当HPを見た、山友 O.Noroさん )
「百沢土石流災害」東奥日報にルポ、訴訟など多方面に渡る連載
・昭和59年 5回連載 「十年目の秋」
・昭和63年 3回連載 「岩木山土石流訴訟・12年の足跡」
・平成1年 5回連載 「13年目の夏」
・平成6年 3回連載 「20回忌迎える」
もう行かない「鳥海山・百沢春スキーコース」
毎年、当コースは春スキーで大賑わい。交通の便からもお手軽コースとして最適なのです。しかし、4月上旬からは1,300m辺りの雪質は地表面から腐り始めストックが手首まで通ります。
信州大学林学科で雪崩発生に付いて学んだ氏曰く「雪崩というより『雪の土石流化』ですね。」
1975年3月、付近で発生した「百沢土石流災害」と、発生源違えど同じメカニズムでは?