東北町・巴蘭(パーラン)という地名の開拓地に魅せられバス停を降りると、そこにはシルクロードの分岐点「桜蘭」にも似た風景と土の臭いが…。

 勿論、中国に行った事もなければ乾燥しきった田舎の臭いも知らない。

通うにつれ当地の話を聞いたり歴史の痕跡を辿ると、開拓団の苦労が愛おしくもあり、国策の無情さや宣教の犠牲、そして「教育勅語」の一人歩きに怖さも感じる。


滝沢平(巴蘭地区)   

巴蘭・滝沢・旭・御料・豊栄の五集落からなる。
 この開拓地は、満州分村計画で甲地村から渡満し、戦後引き揚げてきた人々、開拓地に隣接する漆玉・狼ノ沢・保戸沢・水喰・甲地の集落などの二、三男、そして、そのほか外地引き揚げ者らが入植したところである。以下、開墾に至る経緯を入植者の一人であった岡山三十郎の記録集『滝沢の開拓・誓う雪の朝』から抜粋しよう。
 満州から引き揚げた人々は、甲地村内に新たな入植地を求めていたが、そんな時に御料地であった滝沢平が解放になるという話が伝わり、解放、入植のために運動を展開する。しかし、漆玉をはじめ乙部、狼ノ沢などの集落はこの解放に反対であった。理由はこれらの集落が長くこの地を利用した生活、生産を行ってきたからである。
 漆玉集落は甲地村役場に反対陳情を行っているが、その内容は次のようなものであった。
   一、 先祖伝来より御料地を生活してゆくため守り、その恩恵に浴してきたこと
   二、 植林、防火施設、貯水池造成に労力を提供し、賃金をもらって生活してきた
   三、 木材の払い下げを受け木炭の生産を行ってきた
   四、 馬の生産増強のため放牧地として利用
 村当局としては解放、入植に賛成であったが、この反対運動は強力であったらしい。そうした状況下で県の仲介もあり、入植者を先の三集団とすることで妥協をみたという。              こうして村内での対立は解消したが、はたして解放されるかどうか心配であった。満州分村関係者から岡山一男、関係集落代表として岡山三十郎、外地引き揚げ者代表として岡山九郎、更に当時村農業会会長であった沼山吉助が、県庁耕地課長小林国司・開拓課長熊沢太、帝室林野辺地出張所長荻野堪と共に上京、陳情することになる。
 林野庁との交渉で滝沢平六〇〇町歩はすべて解放されることとなる。県はこれを受けて昭和二十一年末から測量を開始するが、同時に入植選考もすすめられている。
   巴蘭・・・満州分村移民帰還者
   御料・・・漆玉、狼ノ沢の二、三男を中心とする
   滝沢・・・外地引き揚げ者を中心とする
   旭・・・・保戸沢集落の二、三男の入植
   豊栄・・・外地(樺太・満州)引き揚げ者中心
 集落名は、巴蘭は満州分村名から、御料はこの一帯が御料地であったことから、滝沢はこの一帯が滝沢平と呼ばれていたことから、旭は放牧地あとで日が照る場所からの命名であった。豊栄は旧満州弥栄村と豊かになることを願っての命名であろう。
 昭和二十二年三月に入植が開始される。一二二戸の入植で沼山吉助、吹越清蔵が開拓組合代表となり建設を進めることになる。開拓農協初代組合員として沼山が、専務理事として吹越がそれぞれ就任し、各集落に連絡所を置き緊密な連絡を取り合って建設に万全を期した。
 開墾時の失火による山火事など、しばしばトラブルを発生させながらも、昭和二十二、三年で住宅一二二戸が完成、二十四年には電気も引かれた。
 同年、吹越清蔵が組会長に就任するが、吹越は特に厚生関係に力を入れた。これは、貧困と過酷な労働が階層分化を生み、離農者を生み出しかねないことへの配慮であった。
 昭和二十七年までは畑作中心であり、馬鈴薯・菜種・豆類が生産された。昭和二十八、九年の大冷害は営農に転機を与え、昭和二十九年、いわゆる有畜農業を目指して乳牛三頭が導入された。
 酪農経営は乳牛を中心として行われたが、一戸当たりの経営面積が四町歩以下であり、酪農専業農家になることは困難であり、そうしたなかで、米の生産に活路を求め、昭和三十八年以降、土地改良事業・構造改善事業により開田が行われ、さまざまな困難を剋服し昭和四十二年度までに一四一町四反(一四一・四h)の水田が造成された
 しかし、昭和四十五年に始まる米の生産調整、また酪長経営も規模拡大が困難という状況下で、野菜に転換し、現在に至っている。

                         「東北町史」平成5年10月30日発行から


東北町の権現信仰

 ・巴蘭新山権現堂 御縁日 3月9日 9月9日 管理者・吹越明 集落・巴蘭 産土別・ウブスナ

                               甲地本村の新山大権現の分れ

    

資 料 編

 

 「満州天理村異聞」

       https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3744/JNK001503.pdf

  

   なぜ「満州林業移民」は失敗したか

     青森県における満州林業移民から考察        

       http://www.aomori-akenohoshi.ac.jp/campus/docs/kiyo30.pdf

 

 「満州天理鉄道」     

       https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E9%89%84%E9%81%93