業界誌に連載したエッセー

          文とイラスト by hornet@actvne.jp 


1.弘前市・岩木川ジシタ渡り

弘前市駒越 「旧・熊谷酒店」
弘前市駒越 「旧・熊谷酒店」

(はじめに)
 古い民家や商家を探しながら、あちらこちらを巡るスケッチ行が 好きである。  赤瀬川原平的路上観察、懐古的、そして「葦の髄から天井を覗く」短絡な足運びだが、人にふれ、美味いものをみつけ、新風景と巡り会った感動は、いつしか帰宅時間を忘れさせ、スケッチどころではない。
 弘前市の駒越町から岩木橋を渡ったところに「熊谷酒店」がある。民家や商家に興味はああったが、これほど感動、悶絶、金縛りにあった銘家もない。
 藤代方面から、蓮が満開の「革秀寺」を経た、信号待ちの丁字路からのロケーションは益々素晴らしい。 萱を10年程前にふき替えたのも、家主さんの愛着が偲ばれるし、なによりも弘前人のジョッパリが頼もしい。「築何年ですか?」「維持の御苦労は?」と尋ねてみたくなるが、美しいものは、そっと眺めているに限る。         


 小学生の頃は、実家のあった本町から岩木川まで泳ぎに来た。ワルガキ連中から一人前に認められるには「ジシタ渡り」の儀式があった。岩木橋の100メー トル 上流の通称「ジシタ」から対岸への渡河の肝試しである。 面白い事に、対岸の岩木町側からも同じ儀式が行われていたが、名称は「赤石渡り」と言われ、赤い 大きな石を目印に渡ったらしい。 因みに「ジシタ」とは、最近分かったが「神さん」宅の川下が出発点だったからだという。深さは首筋までもあり、カナヅチ 同然の私には今もって夢に見る恐怖の体験だった。
    目屋ダムが出来る前の岩木川は水量も多く、アユの宝庫だった。現在ブームの「アユの友釣り」も、30数年前は子供達に人気の遊びのひとつで、岩木橋の下は場所取りで賑わった。


2. 青森市・厳冬の八甲田登山

 ウインター・スポーツの季節なると天気の良い休日は、いや天候に関係なく大体は八甲田山中にいる。11月から始まるスキーシーズンも、降雪量によっては岩木山で7月上旬、八甲田では7月中旬まで雪の恩恵に浴せる。 シールを貼っ た山岳スキーが、新雪を踏み締めキュッキュッと乾いた音を 立てると、幸せを感じる季節の到来である。 体調が良ければ 田茂萢岳から赤倉、井戸、大岳、小岳、高田大岳を縦走し谷地温泉へ至る。夕方4時頃の到着は 疲れを癒す温泉と美酒にちょう ど良いコースだ。一泊した翌日 は、この逆を帰路に大岳から環状コースを選び酸ケ湯で打ち止めとなる。しかし、最近は同行の友人も体力と腹の出具合から、一人抜け二人抜け、前後に各一人の寂しい ツアーとなる。過日、東京の甥と新装前の大岳ヒュッテへ縦走した時は厳寒だった。登頂の半ばで、まぶたは目出し帽にくっ付き、シールは剥がれ落ち、やっと着いた大岳ヒュッテのトイレ、小水が開い

た扉から溢れ、黄金の氷瀑となっていた。ヒュッテ内は

あまりの寒さに凍り付く程で、来訪者の無いのを祈りつつヒュッテ内にテントを張り暖かい夕食にありついた。 翌日もヒュッテ内の気温は、相変わらずマイナス30度。外は天地が分からない程のホワイトアウト状態だ。
 風も治まり掛けた昼過ぎ、テントを畳むと床にはテントの四角い氷の溶けた後が残り赤面の体。これが後日、スキー仲間の失笑を買ったが「酩酊新聞」(根深酩酊探検隊発行)第106号には、「シュラフの重ね着」とともにマニュアルとしてあり名誉を回復した。
  ここ5シーズン程前から、関東圏の団体には、ヒールフリーの「テレマークスキー」族が多くなった。小生も魅力に取り付かれているが、県内のゲレンデにもチラホラ仲間が増え、嬉しい限りである。