5. 全国の凧収集行脚

福江市
福江市

 私の「凧部屋」は、全国から収集した珍しい凧で一杯だ。 中でも長崎は福江のバラモン(荒くれを意味する)系唐人凧が素晴らしい。徳川政治の治外だった九州一帯は外国凧の流入が多く、中国大陸、インドそして東南アジアの流れを持つエキゾチックな色彩と形状の物が多く、福島県の「会津唐人凧」とは一線を画する。

 バラモン凧を購入してから間もなく、製作者の坂井義春氏が来青した。県内の名所や凧絵師を案内した帰路の車中で、「凧作りの器用さを認められ、五島観光協会の要請で青森ねぶたを作る事になった。」と言う。

 翌年、ねぶた師と1週間のマンツーマンの講習を終え「五島ねぶた」が毎年南国の夜空を焦がす事になる。これも文化の融合かなと妙に納得してしまう。

 古代の人々が凧で魚を捕っていたのはご存じの通りだが、偶然にもこの体験を五月晴れの青森市・合浦公園で巡りあう事に。

 40枚の三角形を組み合わせた、縦・横5メートルの立体ダイヤモンド凧は、微風、強風でも安定して風を捕らえ、一人でも楽々と揚げることが出来る優れものである。自慢げに揚げていたら、兄が「貸してくれ」と言うので糸巻きを渡したのが運の尽き。風が強くなったら揚げ糸を延ばせばいいものを慌てた兄め、糸をグイグイ引いてしまった。制作に数週間もかけた「ダイヤモンド」は、何と100メートル沖の海中へドボン。泣くに泣かれず、底に沈んだ凧をいたわる様に引くがなんと重いことか。

 ところが、底を引きずった残骸にはロープの束が引っ掛かっていて、それにはウニやカニ、そしてナマコがびっしり巣を作っていた。凧揚げを早々に切り上げての酒宴は言うまでもない。

 


6.  40年振りの訪問 弘前「坪田文庫」

弘前市
弘前市

 弘前市役所わき『薮よし』の「カレー南蛮」は、40年前と同じ旨さで相変わらずの人気である。 女将さんと近所の世間話をしていたら、最近「坪田文庫」が復活したという。

 戦後まもなく内科・小児科医院を開業した故坪田繁樹氏が、自宅に隣接する江戸・天保年間に建てられた蔵を改装して始めたものである。この頃の私たちの遊びは、他人様の庭の果実を失敬したり弘前公園の釣りしかなく、唯一「文化」を感じるオアシスがここだった。
 子どもを集めては、読み聞かせはもちろん楽器の演奏指導や、ボーイスカウトの発展に尽力し、子ども会から弘前市子ども会連合会へと発展させ、初代会長をも務められた。 昼夜の別なく開放していたので、蔵から声が聞こえると飛んで行ったし、夜は夜で蔵の重厚な窓から明かりが洩れていれば、夕飯もそこそこに楽器の輪に加
わった。そこにはいつもご夫妻の暖かい顔があった。

 氏にとって医院は副業みたいなもので、診察代も「ある時払い」やら取らなかったりで、私財は図書や楽器そし てコレクションの購入にと、ご家族の苦労は幼少の我々には知る由もなかった。

 再訪した「坪田文庫」は、長女庸子さんが大学の定年を機に、父繁樹氏が残したコレクションや思いを大切にしたいと再建したもので、東京の建築家が蔵を生かした設計をし、ギャラリー「つぼた文庫」として一般に開放されている。

 「自分を捨てて、人のために生きた父に反発していたが、今また自分が同じことをしている」と話す庸子さんの笑顔は、私たちが昔もらったご両親の優しさそのものだった。