「鶴ヶ坂抄」によると、戸建沢に世をしのぶ炭焼き藤太が、偶然傷ついた鶴が湯あみするのを発見し、浴効をみいだしたことにちなみ、それを鶴の湯と呼び、地名も鶴ヶ坂と呼ばれるようになったと云います。藤太公は当時、十三福島城に栄えた名門、平泉藤原一族の流れをくむ当時6歳の頼秀、津軽野萩の台の戦いで父 は藤崎安東勢にやぶれ討死、乳母に連れられて落ちのび、新城戸門の山峡に炭焼きとして身を潜めたそう。炭焼きといっても金銀の製錬業のようで、京からはる ばる訪れる近衛家の福姫との物語も伝わっています。

『青森の伝説』によりますと、「この戸建沢に住んだという炭焼き藤太の話は、広く全国に炭焼き小五郎などの名で分布する炭焼き長者の伝説の一つである。 (中略)昔、都がたの身分の高い姫君が、乱世を避けて下女とふたり、ひそかに津軽にのがれて来た。たまたま戸建沢で炭焼き渡世をしていた藤太という若者 が、この姫の放浪するさまをあわれんで、わが家に伴っていたわっていた。炭焼き暮らしの貧しさを見かねて、姫は袋から黄金一枚を取り出して与えた。すると 藤太は笑って、そんなものなら、このあたりにいくらもある。その証を見せようといって、一つの沢を掘って黄金を積みあげた。藤太は姫に教えられてはじめて 宝の価値を知り、たちまち長者になった。そして藤太は姫と夫婦になり、幸せに暮らしたという。 《 HP 「くぐる神社は鬼ばかり」から引用 》

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