3. 赤羽 尭氏と世界食べ歩きの旅
「グルメ」と言う得体の知れぬ言葉が流行った90年頃、料理研究家・千葉彩子さんと、小館多哥志さん共著の「料理万彩」に挿し絵を依頼された。
毎週、印象に残る世界の料理を肩の凝らないエッセーにしたもので、1年間の連載を終え著者と編集者の三人で会食で打上げとなったが、席上「これは絶対ブームになる」と小館氏が御馳走してくれたのが「ナタデココ」だった。数年後にはスーパーの陳列ケース一杯に鎮座する事になる。
92年暮れには、弘前市出身の作家・赤羽尭(あかばね・たかし)氏著、「歴史を食べ歩く」の挿し絵を又、1年間担当することになった。「脱出のパスポート」(直木賞候補)のスケールの大きさに感動していた私には、手が震える程の大仕事である。 毎週送られて来る原稿からは「スパイ特急」、「黄金特急殺人事件」、「復讐、そして栄光」、「チンギス・ハーン英雄伝」等の、取材で訪れたであろう世界各地数カ国の、
料理から歴史、国情、人情そしてロマンスと満載
されていた。
しかし、現地を知らない私には資料を探して絵
に起こすよりない。県内の古本屋に出向いてはセ
ピア色に染まった『世界画報』やら『地球を歩く』
等から、毎回の場面に合った風景写真を絵にした。
筆が進むにつれ、古本屋通いの苦労は、まるで
赤羽氏に同行し現地を取材しながら旨い料理に感動
し、人情にふれながらの取材気分だった。
「食を楽しむことこそ、人生を楽しむこと。その
人生を飾る最高の宝石は、健康」と最終回を結ん
だ4年後、訃報が届いた。
今、食を求めて歩く時「グラス一杯の水でも、
自分の命を賭けて注文する」(シリア編)は、
後日身を持って体験することに。
( 小学生の頃、実家隣地に赤羽 尭氏が居住さ
れていたと近年知り驚愕!! その後、ヒョンな事から実兄と交流し現在に至る)
4. 全国凧収集行脚(1)
30年前に図書館で読んだ「凧ー空の造形」
(広井力著・美術出版社)は、私に多くの友
人を世界中からプレゼントしてくれた。
本書は伝統の平面的な津軽凧などに対して、
あまり知られていなかった立体形の創作凧を
紹介したもので、写真とイラストは「作って
みたい!!」衝動に駆り立てられた。
中でも夢中になったのが中国産の「むかで
凧」である。丸い平面形に横棒の足、両端に
はバランスのクジャクの羽を付けて30~50枚
を連凧にし、頭部は立体で「カラクリ目」は
風力を計れる。本場物は口から煙まで出る。
立体凧を作っては大会などに参加し、新聞
やテレビで紹介される頃には、市中にも既製
の立体凧が出回り市民権を得た。
その頃から県内各地への講習会も多くなり、
忘れられないのが蓬田小学校。つたない講習
にも全生徒が笑顔で付き合ってくれ、昼食時
には先生が御飯まで炊いて御馳走してくれた。
あの時の「銀しゃり」の味は一生の宝であ
る。
東京・新宿の「備後屋民芸店」は全国各地
の凧を取り寄せて販売しているが、マニアは
「無いものハダリ」で両手に自前の凧とスケ
ッチブックを下げて、凧交流と買い出しの旅
へと出掛ける事になる。
函館の高校教諭・梅谷さんは美術に創作凧
を取り入れ、創作性で単位を取れるユニーク
な授業を展開している。
五稜郭での地元主催の凧揚げ大会で、「幻
のイカ凧」の復刻版を頂いた帰途、同行した
会員と青函連絡船から内緒で津軽凧を揚げた
が結果は富士山と同様、気流の関係で海面ス
レスレの凧下げとなってしまった。 翌日の朝
刊に載った記事を見て、船長さんはビックリ
していることだろう。